2005年03月31日

2005/03/31

ボクはなかなかツイてる。朝、メールが来た。
今度は、テレビの受信料支払いの件で、家主のステファニー・ロブさんが怒っているのだ。(色々経緯があるのだが、そんなことを書いてるヒマがあったら、講演原稿を書かないといけないので省略。)とにかく、ボクが悪いので、謝りの電話を入れなければならない。しかし今回ばかりは、誤るのにも丁寧さが必要である。
独作文するのが億劫になって、午前中は喫茶店で講演原稿執筆。
14時過ぎに、『反省文』をドイツ語で書く。案外すらすら書けて、びっくり。
で、ロブさんに電話して、『反省文』を一方的に読み上げると、笑って許してくれた。

17時?22時。グリプス劇場の稽古場に参加。頭が壊れそうである。

2005年03月30日

2005/03/30

オスカーは良いヤツかもしれない。しっかりスペインで準備してくれているのだろう。そう信じたい。ボクは、自分のドイツ語なんてエエ加減なモンだと分かってるから、重要な情報をドイツ語で送るときは、やはりドイツ人に見て貰っている。そして、残念ながら君のドイツ語力はボク以下だ。自力で独作文しても中途半端な情報しかボクには伝わらないんだよ。頼むから、ちゃんとしたドイツ語で、連絡してくれ。通訳のヒトを通して、日本語でも良いから、正確な情報を教えてくれ。ボクはいつ行くの? いつ帰れるの? 何やねん、この講演会! …と、今日も朝からトイレでタバコを吸いながらホエる。

…そもそも講演会って、どういう構成なの? ついに、頭の整理が付かなくなって、日本に電話。アイホールの山口さんにアドバイスを貰う。彼はやっぱし、賢い。
『山口さん、アナタに航空券あげるから、行ってきてよ、いつ行って、いつ帰れるか知らんけど、むふふ…』と心の中でつぶやく。

10時から14時まで、グリプス劇場の新作稽古に参加。遅ればせながら、というか、やっと今日から劇団の稽古に参加した。しかもこんな時に。(稽古について、色々書きたいことはあるけど、そんなことを書いてるヒマがあったら、講演原稿を書かないといけないので省略。)とにかく猛烈なドイツ語シャワー。頭がくらくらする。そして体調もおかしくなった。で、下痢した。

16時、アヤさんと待ち合わせて、遅い昼食。
帰宅して、仮眠。のち喫茶店にて原稿執筆。

2005年03月29日

2005/03/29

朝、メールが来た。4月15日のスペインでの講演会で通訳をして下さる方からだ。
専門用語の下調べがあるから、講演原稿を至急送って下さいとのことだ。
『おい、ちょっと待て、オスカー!(注:オスカーは講演会を主催するボクの友人) お前、4月14日の航空券をとろうと思ってるって、言うてただけやんけ! 勝手に決めんなよ! って言うか航空券買えたら、連絡せぇよ。』と、トイレの中で、タバコを吸いながらホエる。
朝から、今日の予定は全て変更。グリプス劇場の作業場で、まず何から「原稿」を送れば検討に入る。思いつかない。ずぅーっと悩む。でも至急だ。「何か」を書いて返信しなくてはならない。うぉぉぉ仕方ない、ボクのプロフィールと劇団プロフィールを書く。焦ってるから余計に時間がかかる。やっと書き上げて、送信。

18時に柔道少女サスキャと会って、スパゲティを食べる。最近サスキャに出来た彼氏のハナシで一応、盛り上がる。けど、講演原稿のことで頭がいっぱい。
帰宅後も講演原稿のことで頭がいっぱい。

とりあえず、4月15日が講演日。
だけどボクはいつスペインに行って、いつまたベルリンに帰ってくるのか、知らない。オスカー、ちゃんと連絡せぇよ!

2005年03月28日

2005/03/28

Ostermontag.
イースターの月曜日は祝日。今日までグリプス劇場の事務所もお休みである。
朝から昼過ぎまで、海老村さんの書かれた私小説『三回忌』を拝読したり、自分の雑務をしたり。
夕方、ハッケシャマルクト周辺を一人で散策。
夜、執筆作業。今まで書こうとしていたモノとは違って、新しい作品。
書かないでモガクより、まだ何か書きながらモガク方が精神的に救われる。ようにも思う。

2005年03月27日

2005/03/27

Ostersonntag. Beginn der Sommerzeit.
今日から夏時間。日本との時差は、ボクがココに来た時と同じ7時間になった。
午前中、資料整理。昼からお招き頂いた二軒をハシゴ。
12時半にドイツ・スペイン・日本で劇団活動をされている『らせん館』さんのお宅に伺う。カレーライスやスパゲティサラダ・ケーキなどでもてなして下さった。
17時過ぎにカシワバラマコト・アヤさん宅に伺う。こちらもステキな日本食で迎えて下さった。
近頃、何事においてもまた億劫になりつつあるボクには楽しい時間だった。

2005年03月26日

2005/03/26

散髪。Rosenthaler Platzの近くにある『Haar Station』にて。
一度行ったことのある散髪屋だったが、今日は何となくもう一度試してみても良いか、と思って行ってみた。で、初めて成功。ちゃんと髪を切れる理髪師に初めて出会った。自宅に戻り、自分の髪型を記念撮影。

19時半よりBerliner Ensembleにて『Der aufhaltsame Aufstieg des Aruturo Ui(アルトゥロ・ウイの興隆)』観劇。二度目の観劇。寛美さんが居た頃の松竹新喜劇のような仕上がり。ブレヒト芝居の奥深さを感じる。

2005年03月25日

2005/03/25

今日はKarfreitagである。聖金曜日、キリスト受難の日。
グリプス劇場の事務所はお休みである。午前中、茶店で依頼されていた原稿を脱稿し、Yabaraさん、Gregor氏と西ベルリンを散策する。
オリンピックスタジアム・Grunewaldturm・Schloss Glienicke・Glinicker Brueckeを通って、Brandenburg(ブランデンブルク州)へ。
Cecilienhof・Sanssoucci-Neues Palais・Potsdam市内を巡り、今日の行程は終了。
Yabara邸にて、夕食とケーキを頂く。
Yabaraさん・Gregor氏が今日も色々と心のこもったおもてなしをして下さった。
いつもいつも、ありがとうございます。

2005年03月24日

2005/03/24

朝、卵焼きを焼こうとしたら電源が入らない。停電である。
先日は水漏れがあったし、災難続きだ。お隣さん宅を訪ねると、同じく停電。
調べてみると、我が家の入っている建物全体が停電になっていた。
処置のしようもない。気にしないことにして、グリプス劇場に行き、仕事をする。
仕事帰りに、路面電車内で偶然、『らせん館』の皆さんに再会する。
カフェにて、少しお喋り。

2005年03月23日

2005/03/23

午前7時、嶋田ご夫妻を自宅近所でお見送り。お二人はそのままタクシーにて空港へ。
見送りの後、ボクはアレックスと朝食。
午前10時55分、嶋田さんの娘さんご夫婦をアレクサンダー広場のバス停にて、お見送り。
これで、ドイツ語学校が終わった日から、ちょうど一ヶ月続いた来客ラッシュが終わった。
ボクはそのまま、グリプス劇場へ。作業場にて旅の資料整理など。
自宅に帰って、部屋の片付けなど。
夜、アレックスの店に行くとMUSAがボクの誕生日があったことをを知って、『遅ればせながら』と赤ワインをご馳走してくれた。

2005年03月22日

2005/03/22

10時半、『プラハの春』・『ビロード革命』の舞台となったヴァーツラフ広場を散策。
13時31分、プラハ・ホレショヴィツェ駅発、EC175にてベルリンへ。
18時17分、Berlin Ostbahnhof(ベルリン東駅)着。
一旦、自宅に戻った後、近所のドイツレストランにて嶋田ご夫妻・娘さんご夫妻と夕食。この旅、最後の夕食。

嶋田ご夫妻・娘さんご夫妻に、ポーランド・チェコの旅を通して、たくさんの励ましと刺激を与えて頂きました。本当にありがとうございます。