曇り
テストの点数は60点満点で46点だった。一応、Grundstufe 2(基礎コース2)の課程は合格した。明日から新しいクラスだ。本当はMittelstufe 1(中級コース1)に行っても良いのだが、語彙力がないし、お喋りも他の生徒より大幅に出遅れているので、基礎コースと中級コースを橋渡しするコース(Brueckekurs)に一ヶ月通うことにした。
19時よりStaatsballet Berlin(ベルリン国立バレエ団)の『Die Bajadere(バヤデルカ)』をStaasoperで観劇。二度目のバレエである。
今日のバレエはMarius Petipa(マリウス・プティパ)を原振り付けとしているので、見やすく、見応えがあった。特に3幕『影の王国』のコール・ド・バレエの見せ場は大したモノである。ソリスト以上のグラン・パ・ド・ドゥも勿論、観ている者を魅了する高い技術だと思うが、個人的な好みは、やはり『コール・ド・バレエ』の方にある。それは何故か? 軍隊式に皆が振り付けを揃えることに魅力があるのではなく、例えば『バヤデルカ』の場合だったら、幻想シーンで悲劇の主人公・ニキヤをコール・ド・バレエが演じることによって、多面的に、多様に人間の内面が表現できるからだ。人間の内にある小宇宙と、小宇宙の無限の広がりを感じられる。それは生命の尊厳にまで高められていくようにも思う。
2004年11月30日
2004年11月29日
2004/11/29
曇り。
今日のガッコは恒例の月末テスト。しかもボクの通っている『Grundstufe2』の終了テストなので、難しい長文問題が出た。
20時半よりSchaubuehneにてFranz Xaver Kroetz氏作『Wunschkonzert(リクエスト番組)』を観劇。Franz Xaver Kroetz(フランツ・クサヴァー・クレッツ)氏はボクの好きなドイツ劇作家の一人である。
女性の一人芝居。しかも、彼女は耳は聞こえるが口がきけない障害を持つ。つまり、沈黙劇(der stumme Monolog)である。これならボクも大体は分かる。
仕事から帰ってきたこの女性の『就寝するまでの時間』を切り取った舞台。彼女は一人暮らしをしていて、会社と自宅の往復を繰り返すOL。帰宅してほっと一息。テレビを眺めながら、タバコを燻らせるが、テレビも面白くない。食事の支度。ラジオのリクエスト番組を聴きながら夕食を済ませる。ラジオから甘ったるいラブソングが流れる中、彼女は特に何かしたいことがあるわけでもなく、パソコンでゲームをして暇を潰し、就寝する。しばらくして、彼女はムクッと起きて、クスリを飲んで自殺する。フッと『なんとなく死のう』という思いに駆られたのだ。ありがちな設定のようだが、この作品が書かれた1971年という社会の背景を考えると興味深い内容である。ベトナム戦争もやってたし、断続的に中東戦争も続いていた。オイルショック前夜、政治の季節である。
劇中、彼女はトイレでウンコをした。とても悲しく、ココロが苦しくなるシーンだった。彼女は便秘で、声にならない『呻き声』で懸命に排泄行為をする。彼女は日常を包む全てに対して、クソをたれているのだ。『便秘』はモノを言えないという抑圧された状態と、単調な生活を強いる社会の象徴だ。便秘に於ける『排泄行為』はそれらに対する抵抗であり、そして、抑圧に対する『ささやかなウンチ攻撃』だったのだ。
今日のガッコは恒例の月末テスト。しかもボクの通っている『Grundstufe2』の終了テストなので、難しい長文問題が出た。
20時半よりSchaubuehneにてFranz Xaver Kroetz氏作『Wunschkonzert(リクエスト番組)』を観劇。Franz Xaver Kroetz(フランツ・クサヴァー・クレッツ)氏はボクの好きなドイツ劇作家の一人である。
女性の一人芝居。しかも、彼女は耳は聞こえるが口がきけない障害を持つ。つまり、沈黙劇(der stumme Monolog)である。これならボクも大体は分かる。
仕事から帰ってきたこの女性の『就寝するまでの時間』を切り取った舞台。彼女は一人暮らしをしていて、会社と自宅の往復を繰り返すOL。帰宅してほっと一息。テレビを眺めながら、タバコを燻らせるが、テレビも面白くない。食事の支度。ラジオのリクエスト番組を聴きながら夕食を済ませる。ラジオから甘ったるいラブソングが流れる中、彼女は特に何かしたいことがあるわけでもなく、パソコンでゲームをして暇を潰し、就寝する。しばらくして、彼女はムクッと起きて、クスリを飲んで自殺する。フッと『なんとなく死のう』という思いに駆られたのだ。ありがちな設定のようだが、この作品が書かれた1971年という社会の背景を考えると興味深い内容である。ベトナム戦争もやってたし、断続的に中東戦争も続いていた。オイルショック前夜、政治の季節である。
劇中、彼女はトイレでウンコをした。とても悲しく、ココロが苦しくなるシーンだった。彼女は便秘で、声にならない『呻き声』で懸命に排泄行為をする。彼女は日常を包む全てに対して、クソをたれているのだ。『便秘』はモノを言えないという抑圧された状態と、単調な生活を強いる社会の象徴だ。便秘に於ける『排泄行為』はそれらに対する抵抗であり、そして、抑圧に対する『ささやかなウンチ攻撃』だったのだ。
2004年11月28日
2004/11/28
曇り時々雨。
YABARAさんの仕事場にお邪魔して、芝居の話をする。
芸術の歴史を勉強していないと、現在のドイツ演劇の流れもキチンと把握できないことを痛感。YABARAさんはホントに勉強熱心な方である。これから少しでもYABARAさんから学ばせていただきたいと思う。
19時半より、VOLKSBUEHNEにて『KOKAIN(コカイン)』を観劇。Pitigrilli氏の小説をFrank Castorf氏が脚色・演出している。上演時間はいつも通り長く、途中休憩ナシの2時間50分。観るだけで疲れた。しかも舞台上で行われている物語の他に、スクリーンに別の場所で行われている物語も映される、『同時進行』のシーンが多用されているので、情報過多で頭を整理して観ることが出来なかった。
薬物中毒者たちが、クスリのためなら何でもするという頽廃的行為と世界を描いたドラマ。翻って、『では、我々はどうなのか?』と考えさせられた。確かに『クスリ』というコトバを例えば『テロ』というコトバに置き換えれば、『テロ撲滅のため』という大義を掲げて暴走する社会に対して、ボクたちは何ら具体的な行動を起こさない。『我々はクスリ漬けにされているぞ』というFrank Castorf氏の激しい怒りの作品であった。
YABARAさんの仕事場にお邪魔して、芝居の話をする。
芸術の歴史を勉強していないと、現在のドイツ演劇の流れもキチンと把握できないことを痛感。YABARAさんはホントに勉強熱心な方である。これから少しでもYABARAさんから学ばせていただきたいと思う。
19時半より、VOLKSBUEHNEにて『KOKAIN(コカイン)』を観劇。Pitigrilli氏の小説をFrank Castorf氏が脚色・演出している。上演時間はいつも通り長く、途中休憩ナシの2時間50分。観るだけで疲れた。しかも舞台上で行われている物語の他に、スクリーンに別の場所で行われている物語も映される、『同時進行』のシーンが多用されているので、情報過多で頭を整理して観ることが出来なかった。
薬物中毒者たちが、クスリのためなら何でもするという頽廃的行為と世界を描いたドラマ。翻って、『では、我々はどうなのか?』と考えさせられた。確かに『クスリ』というコトバを例えば『テロ』というコトバに置き換えれば、『テロ撲滅のため』という大義を掲げて暴走する社会に対して、ボクたちは何ら具体的な行動を起こさない。『我々はクスリ漬けにされているぞ』というFrank Castorf氏の激しい怒りの作品であった。
2004年11月27日
2004/11/27
曇り時々雨。
お昼。こちらで懇意にして下さっているカシワバラご夫妻の案内で、芝居の小道具を販売しているお店に連れて行ってもらった。『こんなん一個あったら、芝居一本出来るで』と思うほど存在感のある小道具が所狭しと置かれている。その後、ご夫妻はクリスマス市を案内して下さった。夜の長いドイツの冬もクリスマスに向けて、街全体が盛り上がってきている。屋台の肉や酒、ドイツの煮物、スープ等々、旨い。
そしてまたもや、おごって貰った。(カシワバラご夫妻、今日もありがとうございます!)
クリスマスを待ち望んだり、楽しんでいるドイツの空気は、さすがクリスチャンの多い国だけあって、『どことなく敬虔な感じ』がする。ローソクの明かりを大切にするドイツ文化が、余計にそう思わせるのかも知れない。
20時より、Berliner Ensembleにて18te Juedische Kulturtage Berlin(第18回 ユダヤ文化週間・ベルリン)の企画の一つに今日も行ってみた。コンサートである。
今日の会場は満席で、大変な盛り上がりであった。
演目は『ESTHER OFARIM DAS LIED DER WANDERER(さすらいの詩)』。
確かにESTHER OFARIM さんという女性歌手は大変歌がお上手なのだが、ボクはもう一つ楽しめなかった。勿論、『さすらうユダヤの民たちの魂』をすくい上げ、歌い上げていたのだろう。
物足りなさは、おそらく『すくい上げる』行為者が、どこに立脚しているかである。
お昼。こちらで懇意にして下さっているカシワバラご夫妻の案内で、芝居の小道具を販売しているお店に連れて行ってもらった。『こんなん一個あったら、芝居一本出来るで』と思うほど存在感のある小道具が所狭しと置かれている。その後、ご夫妻はクリスマス市を案内して下さった。夜の長いドイツの冬もクリスマスに向けて、街全体が盛り上がってきている。屋台の肉や酒、ドイツの煮物、スープ等々、旨い。
そしてまたもや、おごって貰った。(カシワバラご夫妻、今日もありがとうございます!)
クリスマスを待ち望んだり、楽しんでいるドイツの空気は、さすがクリスチャンの多い国だけあって、『どことなく敬虔な感じ』がする。ローソクの明かりを大切にするドイツ文化が、余計にそう思わせるのかも知れない。
20時より、Berliner Ensembleにて18te Juedische Kulturtage Berlin(第18回 ユダヤ文化週間・ベルリン)の企画の一つに今日も行ってみた。コンサートである。
今日の会場は満席で、大変な盛り上がりであった。
演目は『ESTHER OFARIM DAS LIED DER WANDERER(さすらいの詩)』。
確かにESTHER OFARIM さんという女性歌手は大変歌がお上手なのだが、ボクはもう一つ楽しめなかった。勿論、『さすらうユダヤの民たちの魂』をすくい上げ、歌い上げていたのだろう。
物足りなさは、おそらく『すくい上げる』行為者が、どこに立脚しているかである。
2004年11月26日
2004/11/26
曇り。
チケットが取れにくい時期だったので、いつもよりも多めに予約希望を出したら、全てチケットが取れてしまって、毎日劇場通いである。とりあえず来週水曜日までは連日が確定している。
19時半より、Berliner EnsembleにてWilliam Shakespeare(シェイクスピア)の『RICHARD ?.(リチャード2世)』を観劇。シェイクスピアを異化効果で仕上げた作品なので、甘い口当たりの部分がなかった。照明も抑制したプランなので、舞台空間が感情的になるのを防いでいる。とても興味深い作品。ちょっと異化効果の意味が分かってきたかも知れない。
特に後半のリチャードの没落後が見所であった。周囲の者達の眼差しと行為は、現在のボクたちが抱える暴力性や、私たちが形成する社会へと重なってくる。
チケットが取れにくい時期だったので、いつもよりも多めに予約希望を出したら、全てチケットが取れてしまって、毎日劇場通いである。とりあえず来週水曜日までは連日が確定している。
19時半より、Berliner EnsembleにてWilliam Shakespeare(シェイクスピア)の『RICHARD ?.(リチャード2世)』を観劇。シェイクスピアを異化効果で仕上げた作品なので、甘い口当たりの部分がなかった。照明も抑制したプランなので、舞台空間が感情的になるのを防いでいる。とても興味深い作品。ちょっと異化効果の意味が分かってきたかも知れない。
特に後半のリチャードの没落後が見所であった。周囲の者達の眼差しと行為は、現在のボクたちが抱える暴力性や、私たちが形成する社会へと重なってくる。
2004年11月25日
2004/11/25 Hijiki.(ひじきを食べる)
晴れ。
朝から歯を磨く。いきなり歯の間に、歯ブラシの毛が挟まって、取れない。
30分ほど格闘したら、取れた。
朝からツイテナイなぁと思ってたら…、
今日、やよいさんが『ひじき』をボクにくれた。
『煮物やん、煮物!』と喜んでしまった。あー、とても幸せ。
早速、夕食に食べさせて頂いたけど、旨い。あー、やよいさんの旦那さんは幸せ者だなぁ。
今日は、その『やよいさん』と一緒に、グリプス劇場で芝居を観る予定。
19時半より、GRIPS Theaterにて『Linie 1(地下鉄1号線)』を観劇。
3度目である。しかし観る毎に、作品の深さを感じる。舞台設定の成功もあるが、登場人物のキャラクター設定が見事である。
で、情けない話で、悔しい話なのだが、3度観たボクよりも、
素人でもドイツ語ペラペラの『やよいさん』の方が内容をよく理解できている。
ということで、もっと必死でドイツ語を勉強せなアカンなぁと、また落ち込んだ。
朝から歯を磨く。いきなり歯の間に、歯ブラシの毛が挟まって、取れない。
30分ほど格闘したら、取れた。
朝からツイテナイなぁと思ってたら…、
今日、やよいさんが『ひじき』をボクにくれた。
『煮物やん、煮物!』と喜んでしまった。あー、とても幸せ。
早速、夕食に食べさせて頂いたけど、旨い。あー、やよいさんの旦那さんは幸せ者だなぁ。
今日は、その『やよいさん』と一緒に、グリプス劇場で芝居を観る予定。
19時半より、GRIPS Theaterにて『Linie 1(地下鉄1号線)』を観劇。
3度目である。しかし観る毎に、作品の深さを感じる。舞台設定の成功もあるが、登場人物のキャラクター設定が見事である。
で、情けない話で、悔しい話なのだが、3度観たボクよりも、
素人でもドイツ語ペラペラの『やよいさん』の方が内容をよく理解できている。
ということで、もっと必死でドイツ語を勉強せなアカンなぁと、また落ち込んだ。
2004年11月24日
2004/11/24 Lesungsdrama (朗読劇を観る)
晴れ。
今日も18te Juedische Kulturtage Berlin(第18回 ユダヤ文化週間・ベルリン)の企画の一つに行ってみる。
20時からGruener Salon der Volksbuehne(フォルクスビューネの隣にあるサロン)にて『Der doppelte Arnold(二人のアーノルド)』を観る。朗読劇(Lesungsdrama)である。
医者で社会主義者のArnold Mendelssohn(アーノルド・メンデルスゾーン)と、その彼の甥っ子で、昨日ボクが行った音楽会の作曲者Arnold Mendelssohnの二人のオハナシ。この同姓同名の二人の物語に彼らの祖父(祖祖父)にあたるMoses Mendelssohn(モーゼス・メンデルスゾーン)を登場させて、彼ら二人のArnold Mendelssohn世界観や希望を描いている。
朗読と歌唱を担当する三人の出演者の他に、朗読劇にはギターとバイオリン・ピアノの演奏があった。面白い試みだったのは、これら楽器演奏者の三人も朗読や演技にも参加してきた点だ。ざっくばらんというか、『演技のクアリテート(質)』をあまり追求していない舞台作りであるが、だからこそ一般庶民に敬愛されていた彼らの人物像が浮き彫りになっていた。興味深い朗読劇だった。
今日の演目を上演したサロンは小さな空間なので、もともと観客もたくさん入らない。が、それでも観客があまりに少ないので数えてみた。20人だった。
今日も18te Juedische Kulturtage Berlin(第18回 ユダヤ文化週間・ベルリン)の企画の一つに行ってみる。
20時からGruener Salon der Volksbuehne(フォルクスビューネの隣にあるサロン)にて『Der doppelte Arnold(二人のアーノルド)』を観る。朗読劇(Lesungsdrama)である。
医者で社会主義者のArnold Mendelssohn(アーノルド・メンデルスゾーン)と、その彼の甥っ子で、昨日ボクが行った音楽会の作曲者Arnold Mendelssohnの二人のオハナシ。この同姓同名の二人の物語に彼らの祖父(祖祖父)にあたるMoses Mendelssohn(モーゼス・メンデルスゾーン)を登場させて、彼ら二人のArnold Mendelssohn世界観や希望を描いている。
朗読と歌唱を担当する三人の出演者の他に、朗読劇にはギターとバイオリン・ピアノの演奏があった。面白い試みだったのは、これら楽器演奏者の三人も朗読や演技にも参加してきた点だ。ざっくばらんというか、『演技のクアリテート(質)』をあまり追求していない舞台作りであるが、だからこそ一般庶民に敬愛されていた彼らの人物像が浮き彫りになっていた。興味深い朗読劇だった。
今日の演目を上演したサロンは小さな空間なので、もともと観客もたくさん入らない。が、それでも観客があまりに少ないので数えてみた。20人だった。
2004年11月23日
2004/11/23 18te Juedische Kulturtage Berlin(初音楽会である。)
曇り。
今月14日?29日まで、18te Juedische Kulturtage Berlin(第18回 ユダヤ文化週間・ベルリン)が開かれている。今日はその一つに行ってみることにした。
20時より、MAXIM GORKI THEATER(マキシムゴーリキ劇場)にてKaliningrader Sinfoniker(カリニングラード交響楽団)による作曲家Arnold Mendelssohn(アーノルド・メンデルスゾーン)の演奏会へ行った。ドイツに来て、初めての音楽会である。
Arnold Mendelssohnは20世紀前半を代表する教会音楽の作曲家らしい。
彼の曲目は以下の通り。
?Konzert fuer Violine und Orchester g-Moll op.88
:Allegro
:Adagio
:Finele/Vivace non troppo
?Sinfonie C-Dur op.92
:Allegro con brio
:Andante un poco pesante
:Finale/Un poco lento -Allegro molto
他の作曲家の演目も演奏されたが、上記の曲目が今日のメイン。
専門的なことどころか、一般教養に属する音楽の知識さえボクにはナイので、
今日はスチームサウナの部屋へ入るような感覚で
『カラダ全体に音楽のスチームを浴びてみよう』といった具合である。
?よりも?の方がボクは好きだった。
?の方の音楽を聴いていると、この作曲家の中には確実に『神が存在する』のだというのが伝わってくる。彼の『神への敬い』や『感謝』、『喜び』が浮かび上がってきて、聴いているボクは楽しい気持ちにさせていただいた。
良い演奏会だった。しかし、今日の劇場はガラガラである。
お客さんは100人ぐらいだったように思う。
どこの劇場へ行っても満席で、チケットが入手困難なこの時期であるにも関わらず。
いつもしょうもない芝居ばっかりやってるマキシムゴーリキ劇場でも、こんなに閑散とした客席になっているのは見たことがない。
ユダヤ文化に対する興味はドイツ人にはナイのかも知れない。
もしそうだったとしたら、ボクはドイツの闇の部分を見たことになる。
今月14日?29日まで、18te Juedische Kulturtage Berlin(第18回 ユダヤ文化週間・ベルリン)が開かれている。今日はその一つに行ってみることにした。
20時より、MAXIM GORKI THEATER(マキシムゴーリキ劇場)にてKaliningrader Sinfoniker(カリニングラード交響楽団)による作曲家Arnold Mendelssohn(アーノルド・メンデルスゾーン)の演奏会へ行った。ドイツに来て、初めての音楽会である。
Arnold Mendelssohnは20世紀前半を代表する教会音楽の作曲家らしい。
彼の曲目は以下の通り。
?Konzert fuer Violine und Orchester g-Moll op.88
:Allegro
:Adagio
:Finele/Vivace non troppo
?Sinfonie C-Dur op.92
:Allegro con brio
:Andante un poco pesante
:Finale/Un poco lento -Allegro molto
他の作曲家の演目も演奏されたが、上記の曲目が今日のメイン。
専門的なことどころか、一般教養に属する音楽の知識さえボクにはナイので、
今日はスチームサウナの部屋へ入るような感覚で
『カラダ全体に音楽のスチームを浴びてみよう』といった具合である。
?よりも?の方がボクは好きだった。
?の方の音楽を聴いていると、この作曲家の中には確実に『神が存在する』のだというのが伝わってくる。彼の『神への敬い』や『感謝』、『喜び』が浮かび上がってきて、聴いているボクは楽しい気持ちにさせていただいた。
良い演奏会だった。しかし、今日の劇場はガラガラである。
お客さんは100人ぐらいだったように思う。
どこの劇場へ行っても満席で、チケットが入手困難なこの時期であるにも関わらず。
いつもしょうもない芝居ばっかりやってるマキシムゴーリキ劇場でも、こんなに閑散とした客席になっているのは見たことがない。
ユダヤ文化に対する興味はドイツ人にはナイのかも知れない。
もしそうだったとしたら、ボクはドイツの闇の部分を見たことになる。
2004年11月22日
2004/11/22 Neuerdings faulenzt mein Lehrer zu sehr. (怠け過ぎである。)
朝起きたら雪が降っていた。しかし、午前9時には雨に変わった。
今日の気温は10℃近くまで上がったので、それほど寒くない。
ガッコ帰りにグリプス劇場へ行って、芝居のチケットの予約状況を確認する。
案外、予約が取れている。明日から木曜日まではとりあえず劇場通いである。
ガッコの授業が難しいし、もうすぐテストもあるので、今日は家に帰ってまたドイツ語のお勉強である。
そういえば、最近のガッコのシュレーダー先生は少々怠け過ぎである。
ほとんど黒板に字を書かない。書かなくても聞いていれば分かるだろうと、彼は思っているだろうが、おそらく大半の生徒は聞き取るだけで、理解していないだろうとボクは思う。
今日の気温は10℃近くまで上がったので、それほど寒くない。
ガッコ帰りにグリプス劇場へ行って、芝居のチケットの予約状況を確認する。
案外、予約が取れている。明日から木曜日まではとりあえず劇場通いである。
ガッコの授業が難しいし、もうすぐテストもあるので、今日は家に帰ってまたドイツ語のお勉強である。
そういえば、最近のガッコのシュレーダー先生は少々怠け過ぎである。
ほとんど黒板に字を書かない。書かなくても聞いていれば分かるだろうと、彼は思っているだろうが、おそらく大半の生徒は聞き取るだけで、理解していないだろうとボクは思う。
2004年11月21日
2004/11/21 Waschmittel (汚れと格闘する。)
晴れ。
掃除をするだけで、半日過ぎてしまった。トイレの汚れがなかなか落ちなかった。
結局、掃除にも疲れて、台所のコンロの油汚れは次回にすることにした。
日本だったら、洗剤(Waschmittel)ですぐに綺麗に出来ると思うが、どれが頑固な油汚れに効く洗剤なのか、薬局などウロウロと探してもよく分からないので、未だに困っている。
今日は、ドレスデンに取材に行く日本の新聞記者の千葉さんがちょっとベルリンに立ち寄って下さるというので、一緒に食事をする予定である。
17時、ホテルのロビーにて千葉さんとお会いする。で、夕食へ。
日曜日ということと、ボクの『もてなしベタ』が重なって、レストランがなかなか見つけられなかった。ダラダラと長い間、ボクの段取りの悪いレストラン探しに千葉さんを付き合せてしまった。食事は何とかまだ美味しい料理を注文できた。フィレ肉とソーセージ、そしてビールである。(そして、おごって貰った。千葉さん、ありがとうございます!)
長旅の疲れと時差ボケを抱えながらも、千葉さんは普段聞けないお話をして下さり、楽しいひとときを過ごさせていただいた。
こうして誰か来客があると、ボクは自分が如何に普段、『街を探検していないか』がよく分かる。千葉さんは明朝、ドレスデンへ取材に向かう。実り多き取材旅行になることをお祈りしております。
掃除をするだけで、半日過ぎてしまった。トイレの汚れがなかなか落ちなかった。
結局、掃除にも疲れて、台所のコンロの油汚れは次回にすることにした。
日本だったら、洗剤(Waschmittel)ですぐに綺麗に出来ると思うが、どれが頑固な油汚れに効く洗剤なのか、薬局などウロウロと探してもよく分からないので、未だに困っている。
今日は、ドレスデンに取材に行く日本の新聞記者の千葉さんがちょっとベルリンに立ち寄って下さるというので、一緒に食事をする予定である。
17時、ホテルのロビーにて千葉さんとお会いする。で、夕食へ。
日曜日ということと、ボクの『もてなしベタ』が重なって、レストランがなかなか見つけられなかった。ダラダラと長い間、ボクの段取りの悪いレストラン探しに千葉さんを付き合せてしまった。食事は何とかまだ美味しい料理を注文できた。フィレ肉とソーセージ、そしてビールである。(そして、おごって貰った。千葉さん、ありがとうございます!)
長旅の疲れと時差ボケを抱えながらも、千葉さんは普段聞けないお話をして下さり、楽しいひとときを過ごさせていただいた。
こうして誰か来客があると、ボクは自分が如何に普段、『街を探検していないか』がよく分かる。千葉さんは明朝、ドレスデンへ取材に向かう。実り多き取材旅行になることをお祈りしております。