曇り時々雨。寒い。
今日から冬時間になった。日本との時差が8時間になった。こちらが午前0時だと日本は午前8時、ということになる。
現在のベルリンは、朝は8時近くにならないと日が出ないし、午後5時には夜になっている。緯度が高い分、冬の日照時間が日本よりも日照時間はかなり短いように思う。
YABARAさん宅で夕食をごちそうになった。餃子、キノコとネギのスープ、白身魚を食べさせて頂いた。最高に旨かった。
食事前は、YABARAさん宅で同居されているドイツ人とボクと二人で一時間ほど餃子を皮に包む作業をした。『餃子を作りながらドイツ人と話せるように』というYABARAさんのご配慮である。ありがたい。
温かいおもてなしをして頂いたのに、ボクはワインを調子に乗ってたくさん飲み過ぎた。だけど日本語が喋れるし、楽しかったんだもの。YABARAさん、ありがとうございました。酔っぱらってフラフラになりながら帰宅。ドイツ生活、二ヶ月目が過ぎた。
2004年10月31日
2004年10月30日
2004/10/30
雨。肌寒い。
近所で道路工事をしている。石畳を剥がして、アスファルト化する作業である。ドイツ映画『林檎の木』の1シーンを思い出す光景である。
ドイツの重機は日本のモノより相当大きい。道路の幅や重機収納施設などの事情が日本と異なるのだろう。とにかくデカイ。デカイので作業も豪快である。力強く石畳を剥ぎ取っていく。『強く、大きい』である。
同じようなことが舞台にも言えるかもしれない。劇場自体が大きいこともあるが、舞台機構も重機同様、大がかりである。重機のような『力強さ』はこの機構にはないけれども、代わりに舞台効果に関する『繊細さ』を持っている。
『力強さ』は作品の中身にあるのかもしれない。それはひょっとすると『物事の考え方』という強さである。『ひょっとしたら』と、そう感じるだけで、まだボクには踏み込めていない領域である。
19時半よりグリプス劇場(STW)にて『Hallo Nazi(ハロー・ナチ)』を観劇。
17歳のドイツ人でネオナチのRudiとポーランド人の自動車機械工Jan、警察官の三人芝居。舞台は拘置室。グリプス劇場で勢いのある男優三人による演目。
第二次大戦以降か、もしくはそれ以前から存在する、ドイツ人とポーランド人の溝(差別や憎悪)を中心にして物語が展開していた。
近所で道路工事をしている。石畳を剥がして、アスファルト化する作業である。ドイツ映画『林檎の木』の1シーンを思い出す光景である。
ドイツの重機は日本のモノより相当大きい。道路の幅や重機収納施設などの事情が日本と異なるのだろう。とにかくデカイ。デカイので作業も豪快である。力強く石畳を剥ぎ取っていく。『強く、大きい』である。
同じようなことが舞台にも言えるかもしれない。劇場自体が大きいこともあるが、舞台機構も重機同様、大がかりである。重機のような『力強さ』はこの機構にはないけれども、代わりに舞台効果に関する『繊細さ』を持っている。
『力強さ』は作品の中身にあるのかもしれない。それはひょっとすると『物事の考え方』という強さである。『ひょっとしたら』と、そう感じるだけで、まだボクには踏み込めていない領域である。
19時半よりグリプス劇場(STW)にて『Hallo Nazi(ハロー・ナチ)』を観劇。
17歳のドイツ人でネオナチのRudiとポーランド人の自動車機械工Jan、警察官の三人芝居。舞台は拘置室。グリプス劇場で勢いのある男優三人による演目。
第二次大戦以降か、もしくはそれ以前から存在する、ドイツ人とポーランド人の溝(差別や憎悪)を中心にして物語が展開していた。
2004年10月29日
2004/10/29
曇りのち雨。暖かい日。
ドイツ語学校の月末テストがあった。結果は週明け月曜日に渡される。
二ヶ月足らずだったが、同じクラスで勉強した中国人のヤオメイさんが来月出産予定なので、今日でサヨナラとなった。握手してお別れした。ステキな笑顔をしてくれた。
20時よりドイツ劇場にて、日本でもおなじみの映画監督アキ・カウリスマキ(AKI KAURISMAEKI)氏の作品『WOLKEN ZIEHEN VORUEBER(浮き雲)』を観劇。この作品の映画は日本で公開されているし、ボクもビデオでだが拝見した。その舞台版である。
失業率の高いこの国に於いて、この作品が与える『痛み』は、ボクにはまだ実感として薄い。
映画の舞台化ということで、演出段階でかなりの工夫がみられる。
俳優に求める演技方法を根底から変えている。
全ての俳優が、本作品以外に多くのレパートリーを抱えているにも関わらず、ほぼ完璧に演じきれるというのは驚異的であった。
先週書いたところで、すぐに変更するのもどうかと思うが、
本作は、ドイツ劇場でボクがお薦めする一番面白い演目である。
ドイツ語学校の月末テストがあった。結果は週明け月曜日に渡される。
二ヶ月足らずだったが、同じクラスで勉強した中国人のヤオメイさんが来月出産予定なので、今日でサヨナラとなった。握手してお別れした。ステキな笑顔をしてくれた。
20時よりドイツ劇場にて、日本でもおなじみの映画監督アキ・カウリスマキ(AKI KAURISMAEKI)氏の作品『WOLKEN ZIEHEN VORUEBER(浮き雲)』を観劇。この作品の映画は日本で公開されているし、ボクもビデオでだが拝見した。その舞台版である。
失業率の高いこの国に於いて、この作品が与える『痛み』は、ボクにはまだ実感として薄い。
映画の舞台化ということで、演出段階でかなりの工夫がみられる。
俳優に求める演技方法を根底から変えている。
全ての俳優が、本作品以外に多くのレパートリーを抱えているにも関わらず、ほぼ完璧に演じきれるというのは驚異的であった。
先週書いたところで、すぐに変更するのもどうかと思うが、
本作は、ドイツ劇場でボクがお薦めする一番面白い演目である。
2004年10月28日
2004/10/28
曇り時々雨。今日は寒い。
19時半より、BE(ベルリーナ・アンサンブル)にて、ブレヒト作『DIE HEILIGE JOHANNA DER SCHLACHTHOEFE(屠場の聖ヨハンナ)』を観劇。
観劇後は、ブレヒトの厳しさよりもずいぶん『甘い感触』を持った。
それは原本にある最後のセリフ三つが全て削除されていたからかもしれない。
しかし再度、編集された戯曲をオリジナル版と比較してみると、どうやらそれはボクの勘違いだったことが分かった。全てを読んだワケでないが、要所要所に於いては『資本主義・共産主義』双方の問題をバランス良く編集しているように思う。
おそらく戯曲の編集作業段階で厳しい闘いをしただろう。
テキストの照合を終え、
ボクは芝居もちゃんと見られていないな、と痛感する。
それはコトバの問題だけではない、もっと大きなモノだ。
19時半より、BE(ベルリーナ・アンサンブル)にて、ブレヒト作『DIE HEILIGE JOHANNA DER SCHLACHTHOEFE(屠場の聖ヨハンナ)』を観劇。
観劇後は、ブレヒトの厳しさよりもずいぶん『甘い感触』を持った。
それは原本にある最後のセリフ三つが全て削除されていたからかもしれない。
しかし再度、編集された戯曲をオリジナル版と比較してみると、どうやらそれはボクの勘違いだったことが分かった。全てを読んだワケでないが、要所要所に於いては『資本主義・共産主義』双方の問題をバランス良く編集しているように思う。
おそらく戯曲の編集作業段階で厳しい闘いをしただろう。
テキストの照合を終え、
ボクは芝居もちゃんと見られていないな、と痛感する。
それはコトバの問題だけではない、もっと大きなモノだ。
2004年10月27日
2004/10/27
晴れ。今日も暖かい。
今日は観劇なし。ガッコから帰って、胃の調子が悪いのでおかゆを作って食べる。夕方ではあるが酒を食らい、早めに就寝。
今日は観劇なし。ガッコから帰って、胃の調子が悪いのでおかゆを作って食べる。夕方ではあるが酒を食らい、早めに就寝。
2004年10月26日
2004/10/26
晴れ。暖かい日。
昨日に続き、20時よりSCHAUBUEHNE(シャウビューネ)にて、
ANTON TSCHECHOW(チェーホフ)作・『DIE MOEWE(かもめ)』を観劇。
演出はFalk Richter氏。
内容の分かっている作品を観ると、演出家がどこで悩んだかが見えてくる。
しかしボク自身が疲れているせいもあってか、作品を楽しむところまで行けなかった。
昨日に続き、20時よりSCHAUBUEHNE(シャウビューネ)にて、
ANTON TSCHECHOW(チェーホフ)作・『DIE MOEWE(かもめ)』を観劇。
演出はFalk Richter氏。
内容の分かっている作品を観ると、演出家がどこで悩んだかが見えてくる。
しかしボク自身が疲れているせいもあってか、作品を楽しむところまで行けなかった。
2004年10月25日
2004/10/25
晴れ。暖かい。
20時より、SCHAUBUEHNE(シャウビューネ)にて、初観劇。
SCHAUBUEHNEはKurfuerstendamm(略して、クーダム)という繁華街にある。
本日の催しはStudioという小ホールにて。
演目はCaryl Churchill氏作『Die Kopien(コピー人間)』。二人芝居。
内容は、要するにクローン人間が存在した場合の空想劇で、それを家族の問題としてとらえたモノである。ありがちなアイデンティティの所在についても言及。
観客のボクも良くないが、おそらくこの芝居もあまり良くないと思う。
20時より、SCHAUBUEHNE(シャウビューネ)にて、初観劇。
SCHAUBUEHNEはKurfuerstendamm(略して、クーダム)という繁華街にある。
本日の催しはStudioという小ホールにて。
演目はCaryl Churchill氏作『Die Kopien(コピー人間)』。二人芝居。
内容は、要するにクローン人間が存在した場合の空想劇で、それを家族の問題としてとらえたモノである。ありがちなアイデンティティの所在についても言及。
観客のボクも良くないが、おそらくこの芝居もあまり良くないと思う。
2004年10月24日
2004/10/24
日記をお読み頂いている皆さまへ
近頃、日記が滞っておりまして、申し訳ございません。そんな大したこともないのですが、体調が優れないのでゆっくりしておりました。これから、少し手抜きの日記を書きますが、『ま、そういう時期もあるだろう』と、お許しいただければと思います。]
晴れ。暖かい日。胃の調子が悪い。
20時よりDeutsches Theater Kammerspiele(ドイツ劇場・小ホール)にてHeinrich von Kleist作『DIE HERMANNSSCHLACHT(ヘルマンの闘い)』を観劇。
おそらく今までのドイツ劇場で観た作品の中で一番良い作品だと思うが、観客のボクの方にそれを受け止めるだけの体力がなかった。
物語は『パルチザンの野営場』と『ホテルのロビー』の二箇所を舞台に展開していた。
近頃、日記が滞っておりまして、申し訳ございません。そんな大したこともないのですが、体調が優れないのでゆっくりしておりました。これから、少し手抜きの日記を書きますが、『ま、そういう時期もあるだろう』と、お許しいただければと思います。]
晴れ。暖かい日。胃の調子が悪い。
20時よりDeutsches Theater Kammerspiele(ドイツ劇場・小ホール)にてHeinrich von Kleist作『DIE HERMANNSSCHLACHT(ヘルマンの闘い)』を観劇。
おそらく今までのドイツ劇場で観た作品の中で一番良い作品だと思うが、観客のボクの方にそれを受け止めるだけの体力がなかった。
物語は『パルチザンの野営場』と『ホテルのロビー』の二箇所を舞台に展開していた。
2004年10月23日
2004/10/23 Die Gehirnwaesche.(あやうく洗脳される。)
曇り時々雨。
今日も暖かい。そして今日も毛玉取り。
14時から16時まで久々にドイツの柔道少女サスキャとお喋り。
19時半よりVolksbuehne(フォルクスビューネ)にて『GIER NACH GOLD(金への欲望)』を観劇。GOLDなので金(キン)である。オカネはGELD。演出はFrank Castorf(フランク・カストルフ)氏。良い芝居を作っているけど不満がある。休憩ナシで3時間の上演をされるのは不愉快である。観客の思考が停止すると思う。思考の停止しそうな、2時間半あたりからのラスト30分にカストルフ氏の『持論』『思想』が集中的に現れてくる。こういうのを『洗脳(die Gehirnwaesche)』というのだと言いたい。
舞台は3時間のうち半分以上は俳優が一人もいない空っぽの状態で、客席からは建物の外観(舞台セット)しか見えない「部屋の中」での演技シーンが舞台上のスクリーンに映し出されるという、これが『前衛』と言われても、『あ、そう。前衛やねぇ』と返したくなる“映像と舞台の構成”である。
しかし、舞台のセンターに泥を敷き詰め、演出しているのは素晴らしい。汗水垂らして、ドロドロになって稼ぐ金と、金に対して泥のように汚い人間を描いている。
思考を停止させるのは良くないが、お上品な毒にも薬にもならない芝居を観るよりはずっと良かった。
今日も暖かい。そして今日も毛玉取り。
14時から16時まで久々にドイツの柔道少女サスキャとお喋り。
19時半よりVolksbuehne(フォルクスビューネ)にて『GIER NACH GOLD(金への欲望)』を観劇。GOLDなので金(キン)である。オカネはGELD。演出はFrank Castorf(フランク・カストルフ)氏。良い芝居を作っているけど不満がある。休憩ナシで3時間の上演をされるのは不愉快である。観客の思考が停止すると思う。思考の停止しそうな、2時間半あたりからのラスト30分にカストルフ氏の『持論』『思想』が集中的に現れてくる。こういうのを『洗脳(die Gehirnwaesche)』というのだと言いたい。
舞台は3時間のうち半分以上は俳優が一人もいない空っぽの状態で、客席からは建物の外観(舞台セット)しか見えない「部屋の中」での演技シーンが舞台上のスクリーンに映し出されるという、これが『前衛』と言われても、『あ、そう。前衛やねぇ』と返したくなる“映像と舞台の構成”である。
しかし、舞台のセンターに泥を敷き詰め、演出しているのは素晴らしい。汗水垂らして、ドロドロになって稼ぐ金と、金に対して泥のように汚い人間を描いている。
思考を停止させるのは良くないが、お上品な毒にも薬にもならない芝居を観るよりはずっと良かった。
2004年10月22日
2004/10/22 Fusselrolle.(毛玉を取る。)
晴れ。
暖かい日。胃痛が治まった。そして今日も毛玉取り。
19時半よりDeutsches Theater(ドイツ劇場)にて、『DIE ZOFEN(侍女たち)』を観劇。中年女性二人と高齢の女優一名による三人芝居。舞台上に無数のカラスが配置され、不穏な空間を造形している。長いブランコも設置されており、侍女である姉妹の不安と迷いを効果的に表現している。殺人未遂を犯すこの姉妹が、「その行動」を起こすに到る『感情の水位』の高まりを俳優も演出も丁寧に表現していた。けど、おもんなかった。
暖かい日。胃痛が治まった。そして今日も毛玉取り。
19時半よりDeutsches Theater(ドイツ劇場)にて、『DIE ZOFEN(侍女たち)』を観劇。中年女性二人と高齢の女優一名による三人芝居。舞台上に無数のカラスが配置され、不穏な空間を造形している。長いブランコも設置されており、侍女である姉妹の不安と迷いを効果的に表現している。殺人未遂を犯すこの姉妹が、「その行動」を起こすに到る『感情の水位』の高まりを俳優も演出も丁寧に表現していた。けど、おもんなかった。