2004年09月30日

2004/09/30 もてなす。

曇り。
テストがあった。81点満点で69.5点。gutと言ってもらった。とりあえず一安心。というか、点数が良くても“喋られない”から、あんまし嬉しいとも思わない。ただ点数が悪かったら、喋られない上にさらに落ち込むから、まだ点数が良かっただけマシ、という感じ。
しかし、オカシイなと思うのは、テストを受けながら他の連中は、辞書を引いたりしとることである。辞書使ってもエエ試験やったんかなと思うぐらい、堂々と調べてはった。センセも辞書を使ってエエのか、アカンのかぐらいはっきり言えよ、と思いつつ、ボクは辞書を使わなかった。
辞書を見るとか見ないとか…、テストとなると過敏に反応してしまうのは、ボクの受験に対する後遺症かな、とも思う。ま、それぞれのお国柄でテストの受け方も違うということである。

高木美香さんとPotsdamer Platz(ポツダム広場)で待ち合わせ。Kreuzbergに『ベルリンの壁』を見に行った後、『Haus am Checkpoint Charlie(チェックポイントチャーリーハウス)』へ。Haus am Checkpoint Charlieというのは、壁博物館とも呼ばれていて、壁があった頃のベルリンの様子や、壁を越えて西ベルリン(西ドイツ)へ逃げようとした人たちの逸話や逃亡用具などが展示されている博物館である。
ま、確かに“分かりやすく”悲惨であった。
これについてはボクの勉強不足なので、も少し先に書くことにする。

夕食にタイ料理を食べる。高木さんは注文成功。ボクは注文失敗。何度も言うが、食事を失敗すると、その日一日がホントに“虚しぃ?く、虚しぃ?く”感じる。高木さんの注文した料理を横から食べさせてもらって、帰宅。
初めての訪問客というのもあるかも知れないが、うまくベルリンを案内出来なくて申し訳ないなぁと思う。人のモテナシ方も勉強せなアカンと痛感した一日だった。高木さん、ごめんなさいね。

もてなせない。ちなみにボクは、ドイツギャルにモテてもない。
中途半端なダジャレを言うて、9月が終わってもうた。

2004年09月29日

2004/09/29 堪能する。

雨時々曇り。
訪独後、本日初めての来客。Tegel Flughafen(テーゲル空港)に迎えに行く。到着した日以来の場所へ着いた。
お客様は日本で通っていたドイツ語学校の友達、高木美香さん。朝から日本語を堪能する。
彼女はドイツのお隣の国・オーストリアのウィーンに三ヶ月留学中で、スケジュールが空いたので急遽、こっちに遊びに来てくれたのである。日曜日の早朝には再びウィーンに戻る予定なので、これからの何日間か二人でベルリンを観光しようと思う。ボクも今までどこも一人で観光してなかったしね。
一旦、ボクの部屋に戻って荷物を置いて、彼女には少し一人で散策してもらう。
『折角の来客やし、学校を休もうか』と思っていたけど、高木さんも同じ留学生の身。「休んだら来週がしんどいから、行き!」というコトバに甘えて、ボクは学校へ。
ボクのガッコ終わりで二人、Alte Nationalgalerie Berlin(旧国立ギャラリー)に行く。特別展『Wolkenbilder(雲の絵)』見学。雲を描くことによってその作家の感じている空気を描く。空気は見えないモノだけど、絵の中には確か存在していた。なかなかの見応えであった。
その後、HELLIオカン宅に布団を借りに行く。ついでに食事もごちそうになる。HELLIオカンの恋人・Wolfgang氏と四人で食事。ハンバーグ、旨い! 普段ボクがロクなものを食べていないのがよく分かった。
夜はそれぞれ別の部屋で寝る(当たり前やけど)。
「明日、テストする」ってガッコのセンセが言いはった。朝早よ起きて、お勉強せなアカン。うーん、辛いなぁ、来客中やのに。ツイてないなぁ、俺。
だけど、思う存分、日本語が喋れて幸せな一日でした。美香さん、ありがと。

2004年09月28日

2004/09/28 落ち着いてみる。

曇り時々雨。
ちょっと落ち着いてみる。落ち着いて考えてみる。ボクは何でこんなに追い込まれているのだろうか。別にドイツ語学校に勉強するためにドイツに来たわけではない。ドイツ演劇を楽しんだり、ドイツの演劇人と話し合ったりして今後の自分に生かすために来たのだ。頭の中が学校中心になって、いつの間にか視野が狭くなっていた。勿論、ガッコの勉強もするけど、もう少しゆったり構えるようにしよう。
19時半よりMAXIM GORKI THEATER(マキシムゴーリキ劇場)にてFRANZ KAFKA(フランツ・カフカ)の『AMERIKA(アメリカ)』を観る。実に面白くない芝居だった。例えば、知らない人と話をする時、人は少しコトバを選んだり、丁寧に語ろうとしたりする。少しコトバを大切にするものだ。今回のカフカの上演にあたっては、上演用台本を執筆された作家さんも演出家さんも少し思い上がっていたように思う。『カフカのことはよぉ知ってますよ』と。勿論、その自信も必要だが、表現者は自信と不安の振幅の中で創作すべきものではないかとボクは思う。自信が裏目に出ているのか、同じドイツ人という身内意識が強過ぎるのか、カフカのコトバをぞんざいに扱い過ぎていたようにボクは感じた。
大きな欠落点は『カフカの本職であった“保険員”としての視座』だったように思う。会社などで起きた事故に関する保険を扱っていたカフカは、事故を処理する管理職周辺と、実際の労働現場の両方を査察する仕事をしていた。一つの事象を二つの観点から日常的に眺める環境にいたカフカの特徴は、本作の主人公Karl Rossmann(カール・ロスマン)がアメリカを旅する中で見た光景と重なる部分が大きかったように思う。

2004年09月27日

2004/09/27 とりあえず寝る。

曇り時々雨。
日照時間が短くなってきた。まだ9月やのに。一体、ドイツってどんな冬になんやろかと、少し不安になるなぁ。
土日の二日間、日本語を堪能したツケは大きかった。またしても授業に付いていけない。ドイツ語の勉強をしに行ってんのに、先生はボクらにドイツ語で思考することを要求してきているようだ。先生の質問してから答えを求めるまでの時間が短い。ボクに日本語へ変換している時間を与えてくれないのだ。『すみません、そんなことボクには出来ましぇん』と許しを乞いたいが、それも出来ず。
精根尽き果て、帰宅。洗濯する気力も宿題やる気力も残ってない。とりあえず一旦、寝る。晩にもう一度起きて宿題をやる。皆、どうやって勉強してはるんやろ。不思議やわ。

2004年09月26日

2004/09/26 また泣く。

曇り時々雨。
[冒頭に日記をお読み頂いている皆様に申し上げます。今日の日記はビックリマーク“!”が多いですが、お許し下さい。]

ベルリンマラソンがあった。女子は渋井ヨウコさんが優勝した。テレビで観てた。インタビューを聞いた。「風もキツクなくて…」あとはドイツ語の翻訳変わった。変えるなよ! 変えてもエエけど、小ちゃい声でエエから流せよ、日本語! テレビ局のアホ!

近所のサテン(CAFE)で、今晩観劇予定のブレヒトの戯曲『母(おふくろ)』を読む。
19時?22時BERLINER ENSAMBLEにてBERTOLT BRECHT(ブレヒト)の“DIE MUTTER(母)”を観劇。別にウチのオカンと全く関係ないけど、息子とオカンが再会するシーンで泣いた。泣くわい! 泣いたらアカンのか!
“DIE MUTTER”は以前にも読んでたけど、昨日のこともあるし、再度、日本語で戯曲も読んで予習していった。そしたら今日は、新演出でローザ・ルクセンブルクのシーンを追加してた。ローザ・ルクセンブルク(ROSA LUXEMBURG)って、ドイツの女性でドイツ共産党を指揮した人らしいですけど、すみません名前しか知りませんでした。こっちに『ローザ・ルクセンブルクからの手紙』って本をたまたま持ってきてるから、また読みます。はい、不勉強でした。だけど毎日毎日毎日毎日もぉー、知らんことばっかり多過ぎるねん!
あのな、言うとくけど(誰に言うてるかは不明やけど)、俺は勉強せなアカンことがよぉけあるんやから、もうちょっと手加減せぇよ、新しいこと多いねん。多過ぎるねん! そんなにいっぱい覚えられるか!
ということで、今日の作品もまた分からんかった。おそらくは主人公の「母」が共産党革命戦士として自立していく姿をローザ・ルクセンブルクと重ね合わせているのだろうけれど、何でローザ・ルクセンブルクが必要なのか、ブレヒトの本も編集しまくってたし、その辺りの演出意図と文芸部の意図は分からないまま、帰宅。ストレス溜まるなぁ。
『分からんくてもエエ、感じたらエエんよ』って、自分に言い聞かせてきた。今まで…、今まではな! 俺は、しまいにスネるぞ!

2004年09月25日

2004/09/25 ふてくされる。

曇り時々雨。
土曜日ってエエなぁ。ガッコに行かなくてエエって最高。日本語の本を時間を気にせずに読めるって幸せ。『住まなきゃわからないドイツ』熊谷徹著・新潮社刊読了。ドイツ生活で見えてきた知識や知恵を分かりやすく語ってくれるエッセイ集でした。
20時?23時、BERLINER ENSEMBLEにて観劇。作品はHENRIK IBSEN(イプセン)の『DIE WILDENTE(野鴨)』。以前、イプセンをよぉ読んでたので分かると思ったけど、分からんかった。ストーリーを忘れてた。観ても思い出せへんかった。思い出そうとすると、舞台で行われているドイツ語がボクの思考を邪魔して、余計に思い出せなくなる。
落ち込む。俺ってホンマのアホやなって。記録力がないなぁって。落ち込んでもしゃあないし、実際「気にせんとこ」って思える時もあるが、今日は落ち込んだ。
クソッ! 何でBEが今、イプセンをやるのか、その意図を知りたかったのに!
記憶力のエエ人がホンマに羨ましい。ふてくされて、呑んで寝る。

2004年09月24日

2004/09/24 喋る。

曇り空。
18時よりSTW(Siller Theater Werkstatt。GRIPSの小劇場)にてJugendliteratur(児童文学)の朗読会&作者へのインタビューを拝見。9月21日?10月2日まで、ベルリンでは文学フェスティバル(4. internationales literratuefestival berlinというタイトル)が行われていて、青少年演劇のメッカであるGRIPSでは児童文学の催しが行われたのである。
カナダとかアルメニアから作家は招待で来ていて、通訳付きでのインタビュー。『ついでに日本語の通訳も入れてくれよ』と、思いつつ眺めていた。隣に座ってはった人がフェスティバル関係者だったので、ボクは何回か途中、うなずいたりして“分かっているよ”みたいな芝居をする。だけど眺めていただけだ。さっぱ分からんかった。文学は難しい。日常会話とはレベルが違う。コトバが磨かれているだけに、難しい。明らかに場違いだった。
一旦帰宅して、改めて家を出る。今日から近所の居酒屋で勉強会が始まったのだ。アレックスがボクに個人授業してくれる。「喋る」のが中心の勉強会。コーヒーまでごちそうしてくれた。隣ではエエ調子に酔っぱらっている人たちが居る。おもろい雰囲気の中で勉強会だった。そういえば、ルターの宗教改革が広まっていった背景には、庶民の集う居酒屋が大きな役割を果たしていたそうだ。

2004年09月23日

2004/09/23 感謝する。

曇り時々雨。
ガッコの仲間のアッバス君はトルコの辞書を持っていた。今日、休憩時間に「トルコから来たんやね」と言うたら、「うん、トルコ。そやけどクルド人やから国はないねん」と、さらりと言われた。
ボク「お、おぅ、そうか。……クルドいうたら、映画で『アララトの聖母』ちゅうのがあったな」
アッバス「それアゼルバイジャンや」
ややこしい。けど、不勉強のボクの失言。地理を知ってないとアカン。しかも陸続きの人達やから、何となくでも国境線の変遷を知っていないと、すぐに失言してしまう。勉強せなアカンのはドイツ語だけやない。
学校帰りにGRIPS THEATERに立ち寄る。ボクの世話をしてくれているODILEオディレさんはボクにドイツ語をよく教えてくれる。ホンマにエエ人。今日は他にも居てる事務所勤務の一人が、「早よ、喋れるようになれよ、いっぱい喋ろうぜ」って言ってくれた。嬉しいやんけ。
19時半より、BERLINER ENSEMBLEにて観劇。タイトルは“LEBEN GUNDLINGS FRIEDRICH VON PREUSSEN LESSINGS SCHLAF TRAUM SCHREI”(格好悪い話だが、翻訳出来ない)とりあえず、残酷童話であった。観たままを言うと、主人公が友人を殺される夢とか戦争とかの夢をみて絶叫する芝居。(子供みたいな報告やな)
やっぱり、Heiner Muellerハイナー・ミュラーの本は難しい。おそらく人間の潜在的記憶の断片を次々とつなぎ合わせて、最終的に人間の持つ凶暴性とか、その対極にある怯えのようなものを造形しようとしていたのだろう。(分からんけど)
ハイナー・ミュラーの本は日本語で読んでも難しいが、今日のも何にも分からんかった。コテンパンだった。ちっとも聞き取れなかったし。けど看板女優さんのオッパイが観られたので満足。ま、そういう日もある。悩まない、悩まない。
帰りに近所の酒屋に立ち寄り、ビールを買う。アレックスが仕事をしていた。コーヒーを二杯おごってくれて、「アツヤ、喋る練習しに来い。明日の晩から。」と言ってくれた。「俺、来週は早番やし、お前も学校があるんやったら、来週は朝10時から11時の間、練習や。」と、続けて言うてくれた。嬉しかった。体の芯から湧き出てくるような喜び。「俺、めっちゃ嬉しいわ」って素直にアレックスに言うた。
アレックス「そのうちウチの家に来いや、メシ食わしたるし」
泣いてもうた。感謝した。ホンマに感謝した。『一人やないんよな、俺』って思った。
早く喋れるようになりたい。皆に応えたい。皆がボクのセンセだ。ホントに感謝してる。

2004年09月22日

2004/09/22 またにする。

曇天。
寒い。強烈に寒い。コートか革のジャンパーを買わねばならない。しかし、パンツを買いに行って失敗した経験がある。うーむ。
……うーむ、……うーむ。またにする。
『寒さ』と天秤にかけて、また今度買うことにした。今日はやっぱり寒くても我慢する。そのうち服を買うことかってできるようになるわい!
本日、観劇予定ナシ。学校帰りに、家主のStefanie Lobさんに10月分の家賃を振り込み、中華屋でチャーハンを買って、帰宅。
最近、「中華」ばっかりである。嫌いな物が多いワケではない。月曜日は夕食にスパゲティーを食べようと近所の“カフェ&パブ”屋さんに入った。だけど、ウエイターのドイツ語が分からず、ワケ分からん“餅かイモか分からんマズイ”料理を注文してしまった。意地で食べたけど。(あとで調べたら、イモを潰して団子にした食べ物だった)
ということで、「安全」を優先して、昨日に続き今日も「中華」にした。ま、そのうちメシの注文かってできるようになるわい!
しかし、迫り来るモノがある。『散髪』である。

2004年09月21日

2004/09/21 惚れる。

曇り時々雨。
Ich bin auch ein Berliner. 『俺も一ベルリンの民なのだ。』
ちょっと宮澤賢治さんの『春と修羅』の一節、「俺も一人の修羅なのだ」っぽく言ってみた。Ich bin auch ein Berliner.(イッヒ ビン アオホ アイン ベルリーナ)う?ん、良い響きだ。
18時からGRIPS Theaterの芝居、『MERODY RING(メロディ・リング)』を観劇。12歳以上が対象の作品。Volker Ludwigのおっさんの“人に対する眼差し・優しさ”に惚れる作品であった。
物語の大筋を少しすると…。主人公の少女(メロディ)は、カフェで知り合った男の子に手品をして貰う。手品の内容は「コインが手の中から消える」という、よくあるヤツだ。お金を持っていなかった少女は、それでももう一度その手品を見たくて、自分の指輪(リング)を男の子に渡す。勿論、指輪も消える。と、そこに警察が来た。男の子は何か事情があるらしく、急いで逃げていく。指輪を持ったまま。少女は男の子を探しに町をあちこち尋ねて回る。そして、行き着いた先にはトルコ人やアジア人が居た。貧民街である。男の子もそこに住む者であった。彼らはベルリンでは望まれない訪問者として不遇な生活を送っている。少女は彼らとの交流を通して、他者を理解し、成長していく。…といった具合である。『Linie 1』に似た構成ではあるが、本作では男の子の鬱屈した精神も同時に描いていた。
作品中、少女は男の子と二度の再会をするが、二度目は物語の最終シーン、場所は警察署の中である。“Ich bin ein Berliner!(俺もベルリンの人間や)”と警官に抱えられながら、叫ぶ男の子が印象的だった。“ドイツの人間だ”とは言わず、“ベルリンの人間や”と言わせたVolker Ludwigのおっさん。大したもんである。
国費留学をしているボクが言うのもどうかと思いつつ、やっぱり言ってしまうのだが、『国ではなくベルリンという地域に焦点を当てるVolkerのおっさんに拍手である』。
そうなのだ、ボクたち一般庶民にとっては生活範囲なんてのは所詮は「点」なのである。「面」の概念はない。支配するエライ人には「面」は必要な概念なのかもしれないけど。
数学的に言えば「点」には面積はないし、「面」には勿論面積がある。この「面積」の有るか無いかの違いは大きい。ドイツ史を眺め、思うのは、この「面」への意識が高まった時に戦争は起きている、ということである。「領域」争いである。
Volker Ludwig氏は、国という単位ではなく、地域、つまりもっと小さな単位、より「点」に近い単位のコトバを紡ごうとしている。明るい未来を切望するが故に、厳しく現在を見つめるVolker Ludwig。
ボクは彼に今日、「地域」と言うコトバの持つ魅力を教わった。Volkerのおっちゃん、ありがとう! エエ芝居やったで。帰り道、ボクも“Ich bin auch ein Berliner.”って、つぶやいたわ。